くらげーむ

やったゲームの話をします

【バディミッションBOND】"ゲーム"は楽しいものであってほしい

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ジャンル ADV
プレイ環境 Switch・テーブルモード
知ったきっかけ 長年の相互フォロワーがフウガにドハマリしていた。
購入の流れ Twitterで流れてくるストーリーの評判がとてつもなく良くて気になった。
体調不良で布団から出られなかった時に思い切って体験版DL。
捜査や潜入はさほど面白くないけれど序盤も序盤だし、とにかく評判のストーリーが読んでみたかったのでそのまま購入。

(前書き追記)

全面的にネガティブな感想文です。
作品に美点はありますが、この記事ではほとんど言及していません。
作品ファンの方が読むと気落ちする可能性が高いです。

合うか分からずプレイを迷っている方が本文を全部読むと強く否に偏りそうなので、不向きポイントを要約しておきます。購入検討中の場合はこの情報で判断し本文の閲覧は控えることを推奨します。

【ストーリー】
あらすじで言及されている要素の内「熱き友情の物語」の部分に力点のほとんどが集中していると感じます。謎、世界、陰謀というワードの方に興味を持つ人には向きません。それらの描写については意外性が低いです。そちらに強く興味を持つ人は、本筋のネタバレを気にしすぎず、キャラクターについてよく調べることをお勧めします。好きなキャラクターが居れば、ストーリーも気に入ることができるかもしれません。

【ゲームシステム】
演出面以外の部分で作品特性と相性が悪く、ゲームで「遊ぶ」ことが好きな人にはあまり向いていません。ストレスになる可能性が高いです。シナリオを読むモチベーションが高く、攻略を見ることにも抵抗のない方なら問題になりにくいです。ただしそれでもQTEが鬼門です。感覚的にこなせる人(操作時に技術や思考に頼らないようにすることができる人)でなければ十中八九苦労します。そこに不安を覚える人は必ず体験版をプレイしてください。その時点で苦労する/耐え難いストレスを感じる人にはかなり厳しいです。ステージが進むほど困難になります。

以下本文です。
ネタバレあり
※すごくすごく長い
※レビューではないので各種説明は省略ぎみ

なんやかんやあって一年遅れでプレイしました。
セールが来る直前にクリアしてしまったのでフルプライスで購入。

所感は一言でタイトルの通り。

やりきったゲームのことを「面白くなかった」とは言いたくなくて、クリア直後の感想は良いところ探しを頑張ってました。でもなー……ずっとくすぶっているこの気持ち。良かったところはあるけれど、やっぱり総合的には「面白くなかった」です。ぐずぐず引きずってて思い出したように時々連投ツイートしてたけど、ちゃんとまとめることにしました。

向き合おう、正直な気持ちと。

ゲームが物語の邪魔をしている

バディミの”ゲーム”は面白くありません。
と、すごくハマっている人の口からもそれを聞くというのはなかなかすごいなと思います。そして「ゲーム部分はかなりつまらないけど、ストーリーは最高だから最後までやってほしい」と言われます。けれども、「ゲーム」があまりにもつまらないということは、「ストーリー」を十分楽しむ土台に欠陥があるということだと思っています。最後までやってほしいのなら、ゲームが面白くあってほしい。

※ここでは【メインストーリー各話のクリアランクを決定する、ヒーローゲージの増減が発生する場面】をゲーム部分と定義します。

バディミのゲームのつまらなさ、退屈さを指摘する際、「難易度が低い」という言葉が添えられているのをよく見かけます。私も、難易度は「ものすごく低い」と感じます。けれど、難易度が低いということとつまらないと感じることは必ずしもイコールにはなりません。プレイに技術を要求されないため誰でもクリアできる(エンディングを見ることができる)ゲームでも、面白いと評価されているものはいくらでもあります。

本作の難易度設定に関して、開発者から、

「本を読むときにページをめくる動作が単調でつまらないと言う人はいないよね」

という旨の発言があったと聞きます。だから、それと同程度の難易度に下げて、誰でも最後までクリアできるようにしたと。雑誌のインタビューに掲載されていたそうです。他の方のレビューで知りました。
原文に当たれていないのは申し訳ないのですが、どうしても思うところがあったのでちょっと言及させていただきます。

【本を読むときにページをめくる動作が単調でつまらないと言う人はいない。】
それはページをめくることが目標なのではなく、本を読む行為に付随しているただの手の運動だからではないでしょうか。本の読者はページをめくりたくてめくっているのではなく、次のページに送るために手を動かしているだけです。そしてそれには大きな労力をかける必要もなく、ほとんど無意識に行うことができます。

「本を読むときにページをめくる動作」をバディミのシステムにたとえるなら、このような感じでしょうか。

ここに本があります。一枚一枚できるだけ丁寧にページをめくってください。
綺麗にめくれたらゲージが上昇します。間違えて二枚一度にめくったら、ゲージが減少します。
特定の場面では、ページめくりに成功するまで先に進むことはできません。
綺麗にめくれた回数が規定数を上回ればゲージが目標値に達し、報酬として番外編小冊子を獲得することができます。

……とても面白そうには思えません。
本をめくるだけならもっと自由です。ちょっと退屈なシーンをいったん飛ばすことも、気になって前のページに戻すことも、簡単に行うことができます。でもこのゲームではどんなに早く先が読みたかろうが綺麗に丁寧にページをめくることが要求されます。お話に魅了され、番外編小冊子がほしいと願う人ほど、神経を使って本をめくらなくてはなりません。番外編にそこまで興味がなかったとしても、「あなたのページめくりは不合格、C評価です」などと言われたら腹が立つか悲しくなるか、いずれにせよ良い気分ではありません。普通の本ならただめくるだけで全部読めるのに!

読書中に本をめくる動作を単調でつまらないとは言わなくとも、達成目標が定められている「ページめくりゲーム」は単調でつまらないと思います。もういいや小冊子読めなくても……となりかねない。

本作はゲームというものを「物語を体験させるための仕組み」ではなく「物語を読むために越えねばならない障害」と捉えているように感じられます。本作の”ゲームっぽい”部分(しばしばゲーム性と呼ばれるもの)は、こなさなければ新しい話を読むことができない課題として作られたようです。その割には「詰まってほしくないから」と、ハードルを極端に低く設定してあります。答えの分かりきったクイズに回答したりボタンを画面の指示通り押したりすることに達成感はない。思考する必要がない。
意識して足を上げれば難なく超えられるけれど、足元を見ずに駆け抜けようとすると引っかかって転ばされる。そんな鬱陶しいハードルが延々と置かれ続けている……そういう印象を持ってしまいました。

そして実際、本作の”ゲーム”は「越えねばならない障害」として機能してしまっています。

ゲームオーバーと「詰み」の取り違え

バディミはほぼ全てのゲームプレイ=操作の成否が最終的にヒーローゲージの蓄積量に集約され、プレイ結果として評定の対象になります。高ランク評価を得ることに対する報酬としてサイドエピソードとアナザーエンドが用意されています。

バディミの一番のセールスポイントはストーリーであるようです。しかしそのストーリーが、プレイ結果次第では読むことができません。

”ゲームオーバー”にならないため、確かに誰でもメインストーリーの最後まで読めはするものの、ミッションを最低ランクで進めていってしまうと各所のレビューで高く評価されているストーリーの大部分が読めず仕舞いとなります。

ゲームに不慣れな人にもストーリーを十分に楽しんでもらいたいと作られたはずが、ゲームに不慣れな人は高評価を取れず泣きをみる。セーブ&ロードを駆使する、などというテクニックに馴染みがなければ捜査パートでごっそりゲージを取られたまま進むでしょうし、ほとんど満場一致の悪名高さを誇るQTEに蹴落とされアナザーエンドを諦めた人は少なからず実在します。QTEに関しては慣れている人間ですら理不尽なレスポンスに苦戦してランクを落としていたので本当にどうしようもありません。

ここで泣きを見ているプレイヤーに、「頑張ってゲームの腕を上げよう!」と言うのは酷な話です。そうしてやるはめになったゲームは楽しい遊びではなく、「おやつが食べたかったら先に勉強しなさい」と突き付けられる計算ドリルです。エーッと思います。やりたくありません。手放しに魅力的だったはずのおやつとドリルをやらなくてはならないという苦痛を秤にかけ始めてしまいます。「ようし頑張ってドリルしよう!」となる人も中には居るかもしれませんが……。

やりたくないと思わせてしまったら、それはもう娯楽ではありません。

これがアクションゲーム等、出された課題に挑戦すること自体がメインの楽しみであるゲームならば問題なかったと思います。道を阻む障害物を乗り越えてゴールを果たす、という遊びで達成感を与えるのが目的であり、プレイヤーもそれを期待しているからです。クリアした結果ストーリーが進行するなどの報酬があるものも多いですが、それはクリアできた達成感を盛り上げる補助の役割を果たすためにあります。

※逆に、「頑張って強い敵を倒した!」という体験の後に「お前が倒したのはニセモノだ、無駄骨だったな!」というようなエンディングを見せられれば達成感が台無しになります。わざと破滅的なエンディングを持ってくるような作品もありますが、そういうのはたいていジャンルがホラーなので全体の雰囲気とマッチしているだとか、クリエイターがそういうヘキの人だと分かっているのでプレイヤーもむしろそっちを期待しているだとかいうことが多い。

”ゲームオーバー”と”詰み”は違います。失敗してゲームオーバーになってもやり直すことができます。ゲームオーバーになった時にどうするかの仕組み次第で難易度は調節できます。誰も詰まってしまわないようにしたいなら、ゲームオーバー時のデメリットを限りなく減らせばいい。すぐさま直前からやり直せるように導線を引いたり、次に進むための答えに近いヒントを出したりすればいいのです。

バディミはゲームオーバーを排しながら「全てのエピソードにアクセスできない詰み状態」になる人を生む本末転倒を起こしています。サイドエピソード、バディエピソード、アナザーエンドがこの作品にとって「別に読まなくても構わない+αのちょっとしたご褒美」だというのならそれでもいいですが、そうではないのですよね?
一度もゲームオーバーにならず、ヒントを見ずにクリアできた人を「Sランク」と褒めつつ、ランクにこだわらなくてもストーリーは絶対に全部読める。本作はそういう仕組みであった方が良かったと思います。

失敗の許容回数が予測できないゲージ加点制。
ゲージを減らしすぎてしまった時のリカバリーのきかなさ。  
面白そうな間違い選択肢の閲覧がクリアランク(=新エピソード)とトレードオフになるジレンマ。
お話を自分の裁量で楽しめないストレス。

ゲームが面白くないと、ストーリーを楽しむ気持ちが濁ってしまう。
ストーリーが酷いと、ゲームが面白かった気持ちに砂をかけられてしまう。
ゲームシステムとストーリーは、どちらかだけが良ければいいものではないと思うのです。

物語を読むためにつまらないゲームを選ぶのは辛い

ところで、難易度が存在せず、詰まるということがほぼなく、それこそ本をめくるために手を添えるようにして操作するタイプのゲームジャンルとしては、ウォーキングシミュレーターがそれに当てはまるのではないかと思います。

ウォーキングシミュレーターは現実には足を踏み入れようもない景色の場所を歩く、自分とは全く境遇が違う人の視点を借りて景色を見て回る、そういう体験の面白さがあるジャンルです。
途中脱落者をなくすために「歩くだけ」しかないわけじゃなく、「歩くだけのこと」こそをメインの体験として提供してきている。むしろそれだけで人を惹きつけてエンディングまで見せようというんだから気合が入っています。もちろん退屈さを感じたプレイヤーは離脱してしまうでしょうし、そもそもプレイしなかったりもするでしょうが。
ともあれ、「歩くだけなら誰でもできるよね?」というつもりで作られているのではないはずです。

ではバディミの場合はどうか。
バディミのジャンルはウォーキングシミュレーターではなくADVです。まずADVで得られる体験にはどういうものがあるのか考えてみます。

たとえば。

証人の、一見筋の通っている話に矛盾があることに気づく。
証拠品画面を開いて、「アッ」と思う。
そして自ら証拠品を選択して証人に突き付け、状況が変化する。

今想定したのはバディミに近いタイプの作品としてよく名前があがる「逆転裁判」です。
真犯人を探し出すというストーリーを楽しむなら、ミステリー小説や映画という選択肢もあります。ただしインタラクティブでないメディアでは、この「読者である自分自身が気づき、選択し、突き付け、追い詰めたからこそ話が進展する」という体験だけはできない。ページをめくれば、再生ボタンを押せば話は進んでしまう。証拠をつきつける主人公の気持ちは想像するしかない。それが「本当にできてしまう」のがゲームというメディアの強みであると思うのです。

バディミの場合は【ゲーム部分】に触れても、この「自分が動かしている」という感覚をほとんど得られなかった*1。大半の場面で自分が操作することに意義を見出せなかった。
ヒーローチョイスではルークになったつもりでセリフを選択できそうですが、英雄的でない選択肢、つまり元々想定されている正しいルークのあり方に沿わない選択肢を取った場合ヒーローゲージにペナルティを食らいます。(満額貰えない、または減少)この選択が後の出来事に影響を及ぼすというのならまた違う感想になりますが……別にそんなことはありません。やりとりに多少の差が出るのみです。
ヒーローチョイスの中には、

Q.本を借りるにはどこへ行けばいいかな?
 →図書館・病院・刑務所
A.図書館!

……みたいなレベルの質疑応答も出てきたりしますが、こういう受け答えをする体験ってわざわざゲームでやらなくてはならないものでしょうか。これで正しく答えたことを褒められてもさすがに喜べる年齢ではありません。幼児教育ゲームにこんな文句をつけていたらおかしいですが、本作はCERO:C(15才以上対象)。
このクイズに答えさせることで、プレイヤーをどういう気持ちにさせたかったのでしょうか。どういう気持ちになるのが正解だったんでしょうか。私は困惑しました。

とはいえヒーローチョイスで出されるクイズは基本的に自然な会話の延長線上なので、簡単すぎて困惑することを除けば他に違和感などはありません。

問題は聞き込み捜査パートです。バディの組み合わせを考えて、GO!とかわいいアニメーションつきでマップに送り出すさまを見るのは癒されるのですが、各地で情報を得ようという時に「だったらこのクイズに答えてくれるかな?」と強引にクイズに持ち込んでくるパターンがかなりあって辛い。歩数制限もシナリオ上の必然性は感じられなくてただの足枷でしたし、Sランク到達までの要ゲージ量がどうにもカツカツ気味で余裕がないため(だいたいQTEのせい)一歩も無駄にできないしんどさ。中盤以降マップがかなり広がってしまい、一筆書きにできるルートを考える気力がなくなってしまったので、もう攻略サイト見ました……。

※バディで挑めば歩数が増える=相棒と二人ならばより多く調査ができる! というコンセプトのようです。が、一人で捜査することになるシーンはごく僅かですし、一人で捜査したマップを二人で捜査し直すこともほぼなかったはずなのであんまり印象に残っていません。意識して読み取らなければ気づきにくい。

潜入パートは3Dアクション風になっているため、それだけでプレイヤーの意思をゲーム内に反映しやすいポイントです。左スティックを倒せばキャラが動いてくれるので、好きなところを見に行く体験はできる。
でも惜しいかな、捜査パートで事前に潜入先の全ての情報を正確に仕入れてしまっているのであまり驚きがない。何を見ても「あ~、ハイ、話にあったアレですね」という感想になりました。

なのでギミック解除はほとんど楽しいことがなかったのですが、事前情報にないアクセスポイントはいくつか嬉しいところがありました。
ひとつはサワールの覗き部屋に貼られていた盗撮写真。(自分でもそこかよと思いますけど)
自分でスティック倒して踏み入れた先にそんなものを見つけてしまったという「ウワッ」の気持ちは本物でした。BOND諸君の感想と完全シンクロ。テキストで言及されていただけならここまで「ウワッ」とはなりません。百聞は一見に如かず。ここまでサワールのイヤさ出してくるということはこの人この後死んだりするのかな、と思ったけど別にそんなことはなかった。生存率の高い世界で命拾いしたね、サワール。

もうひとつはイズミ様の文机。主不在の部屋にポツンと残された手紙。
割とベタなやつですが、これもやはり自分で「何だろうアレ」と気づいてアクセスしたら手紙だったのでちょっと心が動きました。クリア後城が燃え落ちていく映像の中に、この文机が炎に飲まれていく様子もさりげなく入っていて感慨が深い。

そういうわけでゲーム体験としては潜入が一番楽しかったのですが、特定のミッションにしかない、潜入があるなら一番しんどい捜査パートもある、そして極悪QTEがある、ということで……。後半の方は、潜入がないことを祈りながら進めていました。

バディミの【ゲーム部分】は「難易度が低いからつまらない」のではないと思います。もしそうなら、難易度を上げればつまらなさが改善されることになります。しかしバディミの場合は「プレイを通じて体験させたいこと」が【ゲーム部分】に現れるように考え直さない限り、難易度を上げてもおそらく苦痛が増大するだけです。サイドエピソードが今以上に獲得しづらくなるという辛い副作用しか生まれないでしょう。

繰り返しますが、物語を読みたいだけならばゲームという時間コストの高いメディアを選択する必要はありません。小説なり漫画なり、読むだけで読める物を手に取った方がいいです。思考と操作にかかる時間の分もう一冊追加することすらできてしまいます。そんな中でゲームを娯楽に選ぶのですから、面白いゲームがやりたいに決まっている。

方法は色々あると思いますが、どのような難易度であったとしても「面白い」とプレイヤーに思わせる遊びを考え出すのがゲームを作る人の仕事ではないのでしょうか。万人に言わせるのは無理でも、少なくともメインターゲット層には……。
作品が好きだと言う人にさえつまらないと言わせている状況を見るに、その仕事は不十分だったのではないかと思います。

ゲームならではの表現はある……けど

ミニゲームでもない限り、ゲームをクリアするには相応のまとまった時間が必要です。
バディミについては、自分のプレイタイムはおよそ50時間でした。つけっぱなしで放置してしまったりした時間を含んでいるので正確にゲームと向き合っていた時間は分かりませんが。
もうやってて苦しいなと自覚していたのにやめるという決断をできず最後まで頑張ってしまったことで、プレイ後の印象をより悪い方に傾けてしまったかなとは思っています。でもストーリー、確認したかったので……。八割方読んでしまった時点で結末は確認したかったのです。そういう経緯も込みになりますが、バディミとはゲーム以外の形で出会いたかったなと思わずにいられません。できれば、漫画あたりで。
ゲームである必要はなかった。
そう思ってしまうのも、「ゲーム作品」としての本作に残念な気持ちを抱いている理由です。

バディミはメインストーリーから分離されたサイドエピソードがたくさん添えられている構造になっています。
それができるのはゲームの利点ではあります。
ただ、この点についてはゲームでなければいけないというより、ゲームなら楽に実現できるというのが正しいかと思います。
小説などでも大長編になると、本筋ではないサイドエピソードが山ほど挿入されて、時には主人公が何章にも渡って出てこないような場合もあります。それでいて通して読ませてしまう面白さがあり、読者を混乱もさせないとなると大変な技量が必要です。
ゲームの構造を使えば、メインストーリーからサイドエピソードを切り離して、徐々にアンロックしながら好きなタイミングで読ませることは容易です。バディミはまさにこれをフル活用していました。

このシステムで先に触れてしまったため、もし今からコミカライズやアニメ化をするとなると、削ぎ落されるエピソードがあることを知っているがために「ゲームでしかできない」と考えてしまいます。
でも順番が逆だったらどうか。
初めから一本通しで見せなければならない媒体でお話を作っていたら、今あるサイドエピソードも取捨選択しながらメインストーリーに組み込まれ、読者は削られたエピソードを知ることがなかっただけなのではないかなと思います。

ところで……ゲームの利点を生かして他の媒体では難しい充実したサイドエピソードの別添が可能だったということなら、魅力的なCAさんの容姿はチェズレイの母とそっくり同じであるとはっきり明かすエピソードを何故ゲーム内に実装しておかなかったんだろうとモヤモヤしてしまいます。
チェズレイの興味の対象があまりにびっくりする勢いで突如モクマさんに吸引されたように見えて戸惑っていたところ、ゲーム外でその情報が明かされていたことを教えてもらいました。
キャラクターの食べ物の好みだとか、知らなくてもメインストーリーの理解に障りない情報ならともかく、それは教えておいてほしかったなあゲーム中で……と思いました。
(と思ったら、開発インタビューには「想像していただけたら」と書いてありました。声が同じだなあと思いはしたけど名無し役は一人の声優さんが兼役するなんてザラにあるから本当に同じ声なのだとは判断できなかったな……。)

 
演出面の「ゲームっぽい」箇所についても、残念ながら上手くないと思っています。
大きく二点。UIの破壊とプレイヤーのシナリオ干渉の扱い方です。

一点目、UIの破壊。ミッション16のヒーローゲージ破壊演出についてです。
ヒーローゲージはネーミングの印象とは裏腹に、単なるプレイ結果の採点システムでしかありません。
UIとはいいますが、ユーザーが積極的に使用するものではなく、システムから一方的に付与されるもの。採点の途中経過が可視化されただけのものです。
ルークが真にヒーローに近づいていっていることを示すレベルメーターである……という受け取り方もしづらい。それならばミッションごとにリセットされてしまうのはおかしいし、ルーク以外の三人がQTE攻撃でミスした時にも減るのは変だからです。
そんなヒーローゲージが、M16開始時、シナリオ上の都合で一時破壊されます。
プレイヤーとしては……特に困りません。
一応、言いたいことは分かったつもりです。「"ヒーロー"の心」が砕けてしまったのですよね。

たとえばとあるゲームに以下のようなストーリーの一場面があったとします。

今まで頼りにしきっていたナビロボットが破壊されてしまった。
完璧な道案内をしながら励ましの言葉もくれていたナビが……。

この状況に置かれた主人公の心情は、小説などの場合主に主人公の心理描写を通して感情移入するという形で受け取ることになると思います。しかしゲームであれば、ナビシステムが本当に利用できなくなることで、ナビがいなくなってしまった不安、不便さ、喪失感、焦り、悲しみ……という諸々の感情を移入ではなく真に自分のものとして感じることができます
ただしUIとしてのナビが設定と異なりポンコツでプレイの邪魔になっていたり、励ましの言葉をかけているつもりでやたら鬱陶しい内容だったりすると実際には「なくなってせいせいする」みたいなことが起こり演出が失敗します。

ヒーローゲージ破壊演出はまるまるこの失敗をしていると感じました。実のところゲージがないので好きなだけ間違い選択肢のリアクションも見ることができるのでは? と期待すらしました。まさに「ゲージなくなってせいせいした」です。
【ルークがヒーローの心を壊された】
【プレイヤーがヒーローゲージを失った】
この二つが類似の構造を持っていて初めて、「ヒーローの心を壊された」ルークの心境をプレイヤーが自分自身の境遇に重ねて疑似体験することができます。
ヒーローゲージ喪失は事実プレイヤーである私にとって「無条件でSクリアになるので得」にしかならず、ルークが絶望しているというシナリオの状況とは釣り合いが取れないものでした。ヒーローゲージが割れたことで得られたものは「ルーク君が絶望しているんだな」という客観視であって、自分自身の体験ではなかった。
メタファーでキャラクターの心情を伝えるだけなら、映画やアニメといった映像作品でも可能です。ここでは破壊されたのがたまたまゲージというゲームっぽいUIであっただけ。ゲームでしか成り立たない作用は伴っていませんでした。

※「ここですごく感動したよ!」という人の気持ちを否定するものではありません。「我がことのように辛い」と思うのと本当に「我がことで辛い」と思うのは違う現象であり、私がこういう演出に期待しているのは後者の作用だということです。

二点目、プレイヤーのシナリオ干渉について。
これは、アナザーエンドへ到達する手順の話です。
色んなクイズに答えてきた中でここが初めて(と思うくらい他が記憶にない)自分で考えて答えを導き出す出題だったので嬉しく、クリアした直後くらいは「よかった」と思っていました。
けれども時間が経ってくると、この演出で心に引っかかっていた違和感がはっきりしてきました。

バディミはこのアナザーエンドに来るまで、プレイヤーの選択がゲーム世界に影響を与えるというようなことが全くありません。既に決まっているシナリオ上の正解を選ぶのみであり、想定されていない方の回答を選んだとしても正解の道を進む、そういうタイプのゲームです。(それ自体に問題はありません。そういう設計のゲームだというだけです。)
プレイヤーは常にゲーム世界のキャラクターたちを見守る立場であり、プレイヤーの意思とは無関係にキャラクターがストーリーを進めていきます。分岐らしい分岐と言えば潜入ルートの選択くらいですが、どちらのルートを選択しても大筋に変更はありません。キャラクターの会話差分が楽しめるだけです。
それにもかかわらず、アナザーエンドだけは「プレイヤーの行いによってシナリオを変える」ことができてしまいました。

ポッと出の神がラスボスとして登場して顰蹙を買うように、プレイヤーである自分が最後だけポッと出で関わりノーマルエンドに至るはずの運命を変えた。

※コードを入力する操作のことではなく、サイドエピソードを再生し、システムメッセージを見て、ミッション選択画面というゲーム世界の外側であるプレイヤー用の画面でコード入力し、ミッション18が”変化する”という一連の流れのことを指しています。ミッション選択画面は「バディミのコミック」が棚に並んでいるかのようなUI。プレイヤーが18巻の内容を書き換えたという演出に見えます。

アナザーエンドのルークは自分の手で共に生きる未来を掴み取ったのか? 
それともプレイヤーという神の手で未来を与えられたのか?

内容からして前者と解釈するのが正しいのではと思いますが、コード入力の演出があのような形であったことで後者のような印象になってしまいました。
物語の結末を変えるという演出は確かにゲームらしい……というかゲームあるあるなのですが、本作の場合この扱い方は適切ではなかったのではないでしょうか。せめてゲーム世界の中(シナリオ再生中)で行うべきだったのでは、と思います。

ついでながら。インタビューで「ノーマルエンドとアナザーエンドは双星でありどちらが正しいということはない」という発言を見たのですが、この見せ方をされてはちょっと説得力がありません。圧倒的にアナザーエンドが正解の道と感じます。レビューでトゥルーエンドと表記してる方も結構見ますし……。
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余談:トンチキ考

逆転裁判、好きです。456がやれていないのだけど、それ以外は全部クリアしました。検事も。
逆裁のトンチキが好きならバディミのトンチキも好きかもというプレゼンをよく目にしました。しかし自分はトンチキ部分においても、バディミのそれは逆裁とはかなり質が違う手触りだったなと思います。
※一応定義をしておきますがここで言うトンチキは元の意味ではなくファニーな面白さ的なものを指します。

逆転裁判のスットコトンチキさはもちろんそれ自体で楽しませるためにも存在しているのだけれど、「時には無茶なハッタリさえかまして時間を稼ぎ粘り抜く」ことを表現する時にも現れます。「絶望的なまでに被告人不利の裁判でも絶対に諦めず食らいついて【逆転】させる」という主題をトンチキが一部支えていた。
これで全体が真面目一辺倒なのに成歩堂弁護士だけが突如スットボケ発言をかまして時間稼ぎしようものなら法廷からつまみ出されて然りです。検事側もコーヒースライドしたり鞭振り回したりワイングラス握り潰したりする世界だから通じてます。破天荒弁論してもサイバンチョに怒られてライフ割られるだけで済むのはトンチキがまかり通る世界だからです。
見た目か言動、あるいはどちらもインパクトの強い登場人物たちが残虐な理由であったり、やむにやまれぬ理由であったり、様々な思いを抱えて人を殺めたり嘘をついたりしている。そしてそれまで滑稽だったキャラクターが追い詰められた瞬間、迫真の表情を見せる。そのギャップに驚いて、心が動く。そういうところを魅力に感じています。

ではバディミはどうだったかというと、基本的に真面目な雰囲気の中へ降って沸いたようにトンチキ会話や演出が挟まれ、「ふざけてるのかな……」という印象を抱いてしまった場面が多かったように思います。プレイヤー側から見たらトンチキなのにさして大きく突っ込みが入らなかったりもする。作中世界では普通の範疇で進んでいっているかのように見えるものも多く、トンチキと思う自分の心だけが取り残されたりもしました。(すぐに思い出せるのは「おイモ~」とか。作中では大人気オペラらしいし……。)つまり真面目にトンチキしている。突っ込みが足りない。

かと思えばニンジャジャンの歌詞にはローテンションに突っ込みを入れてる群衆が居たりもする。トンチキに微妙なテンションで突っ込みを入れてしまうと寒くなります。我に返ってしまう。それはそう……という気持ちに。なので突っ込みをいれるなら声を枯らすくらいデカいリアクションでお願いしたいのです。冷ややかな突っ込みを入れてしまうと見てて辛くなる。

突っ込み入れるのか、入れないのか。統一するか納得いく基準を見せるかしてほしかったです。
モブのトンチキはスルー気味でもルーク君のトンチキ回答は集中砲火でしばかれまくり時にはゲージまで減らされるのでかわいそうですらありました。

バディミの場合、キャラクターデザインや背景グラフィックが全体的にリアル寄りだったのも、トンチキテキストだけが浮いて見えた要因でした。みんな現実的な服着てるし、謎の装飾もついてないし、髪型がファンタスティックでもないし。トンチキテキストを発するモブキャラたちでさえだいたい見た目が大変普通です。サワール・ムラムラも名前だけが嫌悪感を催すダジャレで見た目普通の、というかステレオタイプ芸能関係者みたいなスタイルなので、ウワーの気持ちだけが残る。あんまり笑えない。さらに言うなら名前っぽくしようとした形跡がなくそのままストレートなのも……もし大逆転裁判2のエライダ・メニンゲンがダメーナ・ニンゲンとかだったらそれほど面白くなかったと思います。

巧 舟 on X: "大逆転2の制作終盤、『どうも今回、ドビンボーやらリッチナンデやら“おカネまわり”の名前が多いな…』と気になって、急きょ《名前アイデアメモ》を再チェック、実は前作から強烈すぎて使いドコロが見つからなかった“エライダ・メニンゲン”をピックアップしたという…" / X
巧舟氏のダジャレネームはアイディアメモに書き溜められているようですが……バディミのそれは10秒くらいの思い付きでつけた名前なんじゃないかなって勘ぐっちゃうというか……。

本当のところバディミは一体どういう思惑を持ってトンチキを使っていたのでしょうか。自分にはどう受け取っていいのか分からないまま終わりました。ルーク君が前触れもなくスットコドッコイになる選択肢は演技もすごくて(奇抜すぎる感じにならず、それでいてちゃんとコミカルで、上手い声優さんって本当にすごい)それ自体は面白かったのですが、潜入しようって時の真剣な会議中にやられたらまあアーロンじゃなくてもしばきたくなってしまうかもしれないね……と思いました。
宝石商の親子あたりはトンチキから入って意外な面を見せてくる良いキャラだったと思いますが、それはあくまでオマケ的な要素であってメインではないんですよね。

まとめ

ここまで散々書いてしまいましたが、商業商品として質が悪いとまでは思っていません。グラフィック、音楽、ボイス、基礎UI、ストーリー。個人的な好みもあるので「最高!」とは言わない項目もありますが、悪い・酷いと思うものはありません。とても丁寧に作られています。
ただ、ADVとしては期待したものがほとんど得られない作品だったなという感想でした。
気になっていたストーリーも個人的にはそこそこ面白い、に留まる内容で、ゲームのつまらなさを吹き飛ばしてくれるほどの力がなかった。いやむしろ、これほどゲームが辛いと思いながらも最後まで読ませたからには、もしかしたら結構面白い話だったのかもしれません。ゲームのせいで面白さが感じられなくなっただけで。
そういうわけでフルプライスでも値段に見合う商品ではありますが、ゲームとしての価値を考えると釣り合わなかったです。私には。

ゲームは、ゲームのシステムは、遊ぶためにあるものだと思っています。ゲームで遊ぶこと、ゲームでしかできない体験を得ること、それを盛り上げ彩るためにストーリーやキャラクターがあるのだと。完全なノベルゲームならもう少しストーリー側に重点があるでしょうが、少なくともADVはゲームをプレイする体験の側に重点があるものだと思っているし、それを期待しています。本作はその期待に応えてくれなかった……というか、期待する気持ちを軽んじられたという風に感じてしまいました。「ゲームに時間をかけたくなんかないでしょう? 早くお話の続きが読みたいでしょう?」そう言われている気がする。ゲームがやりたくて手にとるプレイヤーを想定していないなら、ゲーム風の作りにしないでほしかった。悲しい。

開発者の方々はADVがお好きなのでしょうか?
今回作りたかったゲームは本当にADVだったのでしょうか?
思うに……やりたい/やらせたいことはADVではなく「バディシミュレーター」だったのではないでしょうか。(と書いたところで既視感を覚えて検索したらそのまま同じ単語を書いていらっしゃるレビューがありました。)

四人六通りの多様なバディ関係を感じさせる"ための"ゲームルールを考案・実装していればもっと良いものが出てきたのではと思わずにはいられません。唐突に出されるクイズに回答する行為で人間関係を感じるのは無理です。
インプットした結果返却されるテキストだけで関係性を感じさせないで、インプットそのものにも意味を持たせてほしいです。あくまでもADVであるのなら……。

書ききってみれば驚きの14000字。どうしてこんなことに。

バディミをプレイして得られたもの……それは自分がゲームの何を魅力に感じているのか、こうしてよりはっきりと自覚できたことかもしれません。

追記(7000字)
kamkrgame.hatenablog.com

*1:再掲しますが【メインストーリー各話のクリアランクを決定する、ヒーローゲージの増減が発生する操作】について問題視しています。「握手」や「お座り」は【演出】です。なんのために【ゲーム】をやらせているのか、という問題提起です。